
初代創業者 彦坂判次
昭和〓年豊橋小田原町にて地元のお客様に愛される鮮魚店を開店
酒が飯より好きな陽気な人であったそうです。
二代目 彦坂判一
昭和〓年店舗を豊橋花田町に移転し鮮魚店、仕出し店舗の2階で宴会業を開始。
当人は筋の通らない理屈は大嫌い、頑固一徹、一度決断したらテコでも動かない、しかし人情には厚く、人からの頼まれ事は嫌とは言えない切符の良さは天下一品、男が男として振る舞えた古き良き時代の一家の主。
三代目 彦坂十一朗
時代の流れでスーパーマーケットなど鮮魚店として出店入店。昭和〓年、豊橋新栄町にて宴会・食事・仕出し、念願の魚彦会館を開店。
魚市場仲買である長年の家業であった鮮魚店から学んだ魚を見る目は半端ではなく常にお客様に鮮度の良い魚を提供する事を生き甲斐とし、若い時に苦労を買って出なければ人の苦労や痛みはわからない物、年寄りは大切にせよ、その姿を背中越しに次の世代が学ぶからなと。
風邪で熱があろうが血圧が高かろうが、病弱なその肩に容赦なく雪の舞い散る寒い日でも仕事を休む事がまるで罪のように朝早くから働いた親父でした。
欠点など一つもない親父でしたが、唯一欠点と言えば大の医者嫌い。そのためなのかそれが運命だったのか…本人、常の口癖は前向きに仕事しながら天に召されるなら本望だ!…享年51歳。
四代目 彦坂順一
先代亡き後、当時私は23歳。右も左も商売の初歩も教えてもらえぬまま、まるで暗闇の中を手探りで始めて行くしかなく、悩みながら時には俺だけなんでこんな思いをしなければならないのか、運命を呪った事さえありました。
その当時新店舗新築費用の大きな借入金があり、とりあえずやるしかないと…そんな時、先代のお得意様が、「先代には商売人と客、そんな立場の垣根を超越していろいろ世話になったよ。そんなお得意様が何人も、いや 何十人も皆応援しとるで頑張れや」と。ありがたい事です。
このお客様を裏切る事は出来ない、そんな思いで今まで頑張って来ました。この不況の時代、今こそ初心に戻り精進させて頂く事が、長年に渡りご愛顧頂いているお客様への義務であり、感謝の証でもあると思います。
先代までの良き教えと時代を見誤らぬ事を肝に命じ、私なりに頑張って行く決意でございます。
今後ともご愛顧よろしくお願い申し上げます。
どんな家族にも長年の歴史がある訳です。
先代は家族のため生きて行くのに必死な一生でした。
家族旅行などある訳もなく、家族の思い出写真を探しても数枚しか見当たらない。しかし、どんな親でも子共には幸福になってもらいたいそのために真心と生き方を教え他人を敬う心も伝えたいはずです。楽しい思い出など作る暇や時間がなかったのでしょう。名言とまで言える言葉ではないでしょうが、短い言葉でより深い意味の言葉は幾つも私の胸には刻まれています。
先代はそれでいいと、それが楽しい思い出よりなによりきっと大切に伝えたかったのでしょう。長い年月には喜怒哀楽あり乗り越えて行かなければならない壁が幾つも用意されている訳です。上手に乗り越える事も出きるでしょうが、足踏みしながら恐れながらなかなか乗り越えられない時その時こそ、いつの日にかなにげなく聞いた親の言葉を思い出す物ではないでしょうか。
画家の絵は本人が亡くなってから価値が上がると聞きます。親の言葉も亡くなってから価値に気付く物のように思えるのです。
このページを読んで頂いた人の中でどんな御商売でも家業後継ぎの人には理解し易いと思いますが、時代背景など関係なしに必ず先代と比べられるプレッシャーは常にあると思います。いつか先代を乗り越す気力の持続、新しい可能性への模索、人の話しに耳を傾ける、言葉だけは簡単ですが肝は外してないと思います。
不況の今こそ前向きな精神が宿れば必ずヒントがどんな商売でもあるはずです。商いは豊富な資金に計算高い戦略的な大手だけが強いのではないと確信します。人が人として人を相手にする以上、チャンスはあります。まず、どんな事にも感謝と初心に戻る事を心掛けてまだまだ軟弱で勉強不足な私ですが常に前向きに頑張って行くつもりでいます。
| 魚彦会館 店 主 |
















